葬儀って、人間の文化や社会の根源だと思うんですよ。
死を悼む生き物は人間以外にもいるけれど、葬儀を行うのは、今のところ人間だけのようです。
葬儀には、故人を悼んで、残された人々みんなで悲しみを分かち合う、グリーフケアとしての意味合いと、社会的に「この人が亡くなったこと」をお知らせする意味合いとがある、と思います。
この「社会的」の「社会」の範囲と、葬儀を執り行う側が故人の死をどう捉えるかで、儀式としての意味合いが変わってくると思うんですよね。
元総理大臣の安倍晋三さんが、お亡くなりになりました。
それも、ショッキングな事件によって。
この事実は、とても深くて大きい傷を、残された人々に与えてしまったと感じます。
私自身、彼の思想信条とは反対の意見を持っている上、ご本人を直接知っているわけではない、TVやニュースの映像でしか見たことがないのに、泣けてしまう。
安倍さんのことを深く悼んでいる自分自身に、驚いてしまいます。
それくらい安倍さんの存在は、日本に住んでいる人にとって、とても大きかったのだと感じます。
それに、残されたご家族や、近しい方々の気持ちを考えたら、胸が詰まってしまいます。
沢山の方々が、一般参列や献花に訪れているのは、同じように悲しんでいる方が大勢いる、ということでしょう。
けれど、この感情の大きさと、国葬という公式の儀式を行う、というのは、全く別の問題だと思うんですよ。
有名な政治家である安倍晋三さんという「個人」が、今回の事件で被害に遭われた理由は、
彼個人にでは無く、政治を運営していく上での「やり方」に、積年の問題があったから
ですよね。
「個人」は亡くなってしまったのに、政治家側のやり方の問題、事件を引き起こした「政治の側の構造」には、今のところ公式には、何の言及もありません。
その「やり方」を温存したまま、「国葬」という「公式の儀式」を執り行うことで、問題が「公式」に終わったように見せるのは、真摯な対応とは思えないのですよ。
ヒトの死って、人間が死後の世界(未来)を想像する原点、言わば宗教の原点です。
宗教と全く切り離された文化・文明は、あり得ないんですよね。
思想も、人の日常生活も、宗教から全く切り離して存在することって、できないんですよ。
だからこそ、多様な人をまとめる政治には、中庸が求められるのだと思います。
複雑な心のありようからできる宗教から、「欲」を満たす目的だけを抽出し組み立てると、カルトができるのだと感じます。
なのでカルトって、解りやすく単純で熱狂しやすいし、色々と利用しやすいのだと思います。
今回の事件、宗教モドキのカルトが関わっている分余計に、慎重に取り扱って欲しいのですよ。
昔からの日本的な宗教感覚で、非業の死を遂げたヒトは祟る、というのがあります。
だから手厚く祀って、祟るほどの強い力を味方に付けよう、という感覚。
菅原道真公が天神様になる感覚ですね。
この感覚から読むと、「国葬」という国家公式の儀式には、それを営む側の思いとして
国家運営の手段として、同じ手段を使っている自分たちは生き残ってしまった。彼だけを犠牲にしてしまった、という罪悪感
があるのではないか、と思ってしまうんですよ…。
有力な誰かを犠牲にしてでも、このまま利益は受け続けたい。
根本的な問題の解決をするつもりが無いのではないか、と思ってしまうんですよ。
(解決するだけのチカラが無いのかもしれませんが…。)
国際的に活躍された政治家だからグローバルに葬儀を上げたい、という意味付けだけでは、「国葬」という重々しさとは違和感があります。
葬儀って、亡くなってしまった御本人は、当然ですが何もできません。
「残された側」が、故人の死に対し、どう社会的意味付けをしようとするか、を表明する場でもある、と思うんですよね。
故人の思想に近しい方々は、古来の日本的価値観を大切にしたい、という考えの人だと思うんですよ。
だからこそ余計に「国葬」と聞いたときに、「怖い」と感じてしまったんですよね。
党や有志の役務として国民や海外にも開かれた葬儀を上げる(=悲しみを分かち合う)、ならばともかく、「国家としてのフォーマルな儀礼」となると、意味が違ってしまうんですよ。
国家として非業の死を受け入れた(=公務終了)の意味になってしまうのではないか、と危惧してしまいます。
人の死って、取り返しのつかないものです。
だからこそ、丁寧に扱って欲しいのです。
財務省元職員の赤木俊夫さんのことも同じです。
山上容疑者の家族や、同様の境遇の人のことも、同じです。
利益を上げる手段として、人の尊厳を無視してもよい、他人を道具にして当然、という価値観を「伝統」にしてしまってはダメですよね。
伝統って、美しいものばかりじゃないんですよ。
安倍さんの残した大きな課題を、どう片付けていくかで、この国の未来が大きく変わると思います。
単純に割り切らないで欲しいです。



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