ひきこもり経験者から「どうなのコレ?」と思われている、令和3年度の江戸川区の調査。
この中身について、かつての当事者として、私が感じたことをまとめてみます。

詳しい調査結果は、こちら(↑)の江戸川区HPより、PDFファイルで見られます。
調査方法の問題
この調査は、
- 江戸川区に住民登録がある
- 15歳以上
- 給与収入で課税されていない
- 江戸川区の介護・障害等の行政サービスを利用していない
上記に該当する人を含む世帯に、調査用紙を郵送し、回答を求めたものです。
また、回答の無い世帯には訪問をして、回答の促しを行いました。
「世帯」単位?
まず、私が気になったのは、調査用紙を「世帯ごと」に送っている点です。
私は実家にいた頃、8050に片足を突っ込んだ状況だったのですが、選挙権がありませんでした。
投票所入場券は「世帯主宛」に届くので、他の家族には届かないんですよ。
「世帯主」に宛てたものは、「世帯主」に処分されてしまうんですよ。
特に8050状態の家では、「世帯主」にまともな判断能力があるとは限らないのですよ。
また、この調査のようなものについては、回答内容も「世帯主」の自由で好きなように答えられてしまいます。
家族にとっては「実情と全く違う回答」をしている可能性もあります。
実際、回答者の年齢で70代が一番多く19.8%、回答者全体の49%が男性(女性は39.7%)、という集計になっています。
私の実家では、最終的には、外へ出ようとあれこれ画策していたのは私で、家にしがみついていた(ひきこもっていた)のは高齢の父=世帯主でした。
以前は、高齢の両親が住む家にひきこもる鬱状態の娘、と言えたと思いますが、時間の経過に伴って、家庭内での状況は変わっていったのですね。
また、父は昔から医療や介護サービスを馬鹿にしていて(と言うより、怖かったのだと思いますが…)、私が地域包括センターに介護認定の話を繋げた時には、大声で怒鳴り散らしていました。
こういう「福祉に対する偏見」を持った、(世帯主である確率の高い)高齢男性は多いと思いますが、そういう世帯主に回答を求めても、家の中での本当の状況は外部に伝わらない、と感じます。
家の中に不都合があることを認めるのはプライドが傷つくので、否認して隠しますので。
「世帯」の中で、外へ繋げる判断ができるのは、「世帯主」とは限りません。
また、相談に行くことや、精神医療にかかることを「みっともない」という理由で禁止されている場合もありますので、こういう調査は、「個人・本人宛」でするべきだと感じます。
集計では、当事者が不安を感じることとして、収入・生活資金と僅差で自分の健康という回答が66%で一番多くあげられています。
そして、医療機関に相談したことがあるという回答は28%で、どこにも相談したことがないという回答が最多の62%になっています。
訪問
訪問については、ひきこもっている本人には「侵害」と捉えられるかも知れません。
それでも私は、訪問をお願いしたいと感じます。
自らひきこもっている、というより、ひきこもらされている場合も少なくないのではないかと思えるからです。
以前、立て続けに数件、精神疾患で長年家に閉じ込められていた(元)子どもが、衰弱したり死亡したりして発見された事件がありましたが、そこまで酷くなくても、似たような状況の家がある、と思えるからです。
逆に、子どもが、高齢で弱った親を「隠している」場合もある、と思います。
これらは、訪問して家の中の状態を見てもらえないと、気付かれないままになってしまうと思うんですよね。
どちらにせよ、悲惨な状況ですので、どうにか発見して、医療や福祉に繋げて欲しい、と思います。
調査基準の問題
この調査では、同居人がいて、ひきこもり出して3年未満の、40代女性のひきこもり割合が一番高く出ていますが、この数値には疑問を感じました。
調査対象者が、所得税非課税で福祉サービス等を受けていない人、なので、家族以外と交流の無い専業主婦がかなり数値に入ってしまっているのではないか、と思います。
また、就労についても、女性のほうが非正規雇用になりやすく、労働条件も悪く収入が低くなりますので、実家や婚家で生活ができるなら、外で働くより家の中で家事をした方が有益、という考えになりやすいと感じます。
外との交流(職業・学業)が無くなって3年未満の40代女性、というと、そういう社会的な理由も十分考えられると思いますし、その状態の人を全員「ひきこもり」とカウントしてよいのかどうかも、疑問です。
以前、職業・学業の無い人はひきこもりの内に入る、という判断基準が話題になったとき、SNS上で、「専業主婦はひきこもりではない!」「家事が忙しいのに外へ出る暇なんかない!」と盛り上がって(プチ炎上?して)いたのを思い出しました。
性別による集計が無い
調査結果をまとめた資料には、クロス集計も出ているのですが、当事者の性別による集計は無いんですよね。
現在ジェンダーフリーの視点が大事と言われてはいますが、実際、今生きている人は、ジェンダーによる「べき論」から自由ではないんですよ。
ひきこもり問題が話題になり出したころ、ひきこもるのは男性が多いイメージでした。
これ、社会的なドロップアウトを「重大問題」として捉えられやすいのは、男性の方だから、なんですよね。
女性は「勉強や仕事ができなくても、実家などで家事手伝いをして食わせてもらえばいいじゃないか」という「緩い捉えられ方」をするので、大きな問題とは思われにくいんですよね。
そうなると、女性の方がひきこもりと社会生活のあわいをゆらゆらしやすいし、もともとが社会的に期待されていない「弱者」とも言えるので、いろいろな機関に相談しやすくなる、とも思うのです。
逆に男性は、稼がなければならない、一人前でなければならない、というプレッシャーが強い分、支援を求め難くなると感じます。
自分を強者だ(強者でなければならない)、と思っている人は、福祉は弱者=惨めな者への「施し」、と捉えているフシがあります。(家の父がそうでした。)
生活保護などの福祉的支援を受けるのは恥だ、と感じるのも、「自分には稼げる能力がある=能力が無いことなどあってはならない」という意識があるからだ、と感じます。
オンナコドモは弱者だから、気軽に福祉に相談しても許す、という感覚は、世の中に根強く残っています。
集計結果で、当事者が求めているもの(求めている支援の内容、と取れる質問)の回答で、「何も必要ない・今のままでいい」の割合が32%で一番多くなっていますが、これがイコール当事者は支援を求めていない、とはならないのではないかと思えます。
求めていない、のではなく、求めてはいけない、と感じている人が多いのではないか、と思えます。
助けを求めてはいけない、というのは、「世間の目」から強要された強迫観念なんですよね。
強迫観念に従ってあげる必要はないんですよ。
私がひきこもって鬱のどん底にいた頃に、もし「何か支援は必要ですか?」と訊かれたら、「いりません」と即答したと思います。
当時は、この世から早く消えることが一番の望みだったから、なのですが、これは鬱の症状でもあるんですよね。
また、年齢が上がればできる仕事もなくなっていきますので、全てをあきらめる気持ちになって行きます。
けれど、「仕事をあきらめた=生きることをあきらめた」とはならないと思います。
どこまでも「私」の感覚であって、みんながそうだ、とは決して思いませんが、「支援されるのは嫌だ」というのは、「できないことを無理やりやれ、と追い立てられるのは嫌」という意味で、「自活を可能にする手伝いをされるのは嫌だ」、という意味ではない、と思えます。
8050やその予備軍には世帯分離を
私としては、高齢の親の元で暮らさざるを得なくなっている人には、世帯分離を勧めて欲しい、と思います。
たとえ経済的自立が難しくても、無理にでも世帯を分けてしまえば生活保護も受けやすくなります。
また、世帯が分けられれば、医療や相談機関へつながることを、親族から否定されなくなります。
「支援を断る」背景には、当人・家族双方に何等かの病があるのではないかと思えます。
もし本人に障害などがあるならば、年金や就労支援も受けられるのですが、「同居人」がいることで心理的に阻止されることもあると思います。
とりあえず、家を出てしまえばどうにかなる、どうにかなるよう福祉支援が支えてくれる、支援を頼っていいんだ、ということを、支援の届かない人たちにどう伝えていくか、が、大切なのではないかと思います。
ひきこもりという状態は、病院にかかるほどではないとなると、助けを求める場所は、自助グループなどのボランティア任せになっている感があります。
この江戸川区の調査は、いろいろと改善するべき点もあるとは思いますが、それでも、こういう調査を行政が実施してくれたことは、かつて「泥沼に浸かっていた」者としては、未来に繋がる救いだ、と感じます。



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