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ひきこもり支援の難しさ

ひきこもり

一口に「ひきこもり」と言っても、その家庭環境やひきこもらざるを得ない理由などは、当然ながら一人ひとり違います。

だからと言って、「家庭の問題」として放置しておいていいことではありません。

ひきこもった人を抱えた家庭は、事情を隠したがり、孤立する傾向があります。

こじれれば8050、ゴミ屋敷、セルフネグレクトなどの問題で、大勢の人の生活を支える地域自体の崩壊にも繋がります。

それでも、生活に困っていても、ひきこもり本人はもちろん、家族も、どこにSOSを出せば良いのか、そもそもどう助けを求めていいのかすら、解らないのが現状なのですよね。

先日、「ひきポス」に書かれた支援についての記事を読んで、少し考え込むことがあり、そのことをまとめてみます。

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アウトリーチの必要性

「ひきポス」というひきこもり当事者の声を載せるサイトがあります。

ひきポス -ひきこもりとは何か。当事者達の声を発信-
『ひきポス』は、ひきこもり当事者、経験者の声を発信する情報発信メディア。ひきこもりや、生きづらさ問題を当事者目線で取り上げます。当事者、経験者、ご家族、支援者の方々へ、生きるヒントになるような記事をお届けしていきます。

こちらに上げられる記事は、とても身につまされる話題が多いのですが、ここで、以前江戸川区で行われた調査などを含めた、ひきこもり支援のアウトリーチ方法について、批判的意見が出ていました。

東京都江戸川区が2021年度に引きこもりの実態調査を約18万世帯に行ったところ、区内に7919人の当事者がいることが分かった。区がかねて支援してきた人も加えると8000人近くに上る。区人口は約70万人で、区担当者によると自治体がここまで大規模な調査を行うのは珍しいという。

⇩江戸川区ホームページ

2021年(令和3年)7月14日 支援が必要な人を結びつける「ひきこもり実態調査」を開始

この調査は、江戸川区に住む15歳以上の人で、所得税課税されておらず、介護・福祉などの行政サービスを受けていない人に対し、調査用紙を郵送したものです。

回答が得られなかった場合は自宅訪問で回答を求めたそうです。


確かにこの、回答しない場合は自宅訪問が来る、という調査方法には、圧力を感じてしまいます。

私自身も十年以上、実家でひきこもり状態だった経験があります。

そのころの私は、近所の人やかつての同級生などに見つかったら、どんな蔑みの目を向けられるのかと、常にビクビクと怯えていました。

ひきこもっている最中の人は、とにかく「外界」が恐ろしいのです。

外界からやって来る者、陽の光にでも晒されたら、恥の余りにその場で灰になって消えてしまうだろう、というほどの勢いで、外界に対する拒絶感を持っていました。

私の実家もそうだったのですが、ひきこもりの人を抱える家庭では、ひきこもりを「世間に顔向けできない恥」だと感じて、近隣に隠していることが多いと思います。

ひきこもり本人はかなり敏感に、そういう家族の感情を増幅させて受け取っていて、「これ以上の辱めには耐えられない」と感じているんですよね。

世間からも家族からも「恥ずかしいヤツだ」と蔑まれている、と感じてしまっているんですよ。

本人、かなりいたたまれないものがあります。

私自身そういう経験がありますので、アウトリーチの支援は嫌だと感じるのはよく解るのですが、それでも、ある程度のアウトリーチは必要なことだ、と私は思っています。

なぜなら、本人の「この生活から抜け出したい」という気持ちが高まったタイミングで、適切な相談先を見つけるのは、容易なことではないと感じるからです。

焦りがあると、高額の医療モドキやカウンセリングモドキに引っ掛かりやすくなり、親族から罵倒されたりして、更に世間に対する絶望感を増すことにもなります。

動き出したい、と思ったのに、相談先を探すことで疲れ果てて動けなくなるのでは、挫折体験を増やすだけです。

なので、信頼できる方法で「こういう公的な相談先や、支援方法があります」ということを、常々周知しておくことが必要だと感じるのです。


私の場合、元々いろいろな人のブログや書き込みを見ることが好きだったので、鬱の人向けのSNSをきっかけに、些細なことでも相談に乗りますと言ってくれる就労移行支援事業者を知り、とにかく実家から脱出したい一心で支援機関に連絡を取ったことで、今の一人暮らしが可能になった経緯があります。

また、たまたま良心的な事業者に出会えた幸運もありました。

就労移行支援事業者や行政と連絡を取り合う中で、「とにかく実家から離れましょう」ということになり、就労以前に一人暮らしができるよう、手助けしてもらえました。

結果、就労自体は上手くいきませんでしたが、一人暮らしは継続してできています。

これも、こういう支援があるよ、相談して良いんだよ、ということを知れたから出来たことで、もしこの支援に繋がれなかったら、それこそ「死ぬか殺すか」の状態になっていたと思います。

実家にいた頃と比べると、今は本当に精神的に落ち着いて生活ができています。


8050問題のように、世間から隠れ・隠され続けた結果としての、「同居人がいても、家族全体が世間から切り離されたセルフネグレクト状態」というのは、本当に悲惨です。

その悲惨の只中で、認知のバイアスがおかしくなっている人って、自分がどれだけ悲惨な状況かが解らなくなるんですよね。

餓死しかかっていることにすら気付けないのだから、悲惨から脱出する気など到底無くなっています。

そうなると、外からのアプローチがないと、どうにもならないんですよね。

私のようなネット上をうろうろする趣味がある人ばかりではない、となると、どこから支援の情報を届ければよいのか。

それを考えると、やはり行政という身分がはっきりしたところから、責任を持って支援を繋げます、というアウトリーチをかけるしかないのではないでしょうか。

「閉じ込められた中の人」に、助けを求める先があり、助けを求めていい、と、しっかり知らせる必要があると思います。

支援は「与えられるもの」じゃない

前掲の「ひきポス」の中で、

「支援を与えられても、返済するものを何も持っていないことが心苦しいので、支援を拒否したい」

という意味の書かれた場所があります。

また、

「外的な支援の開始は、内的な自発の終焉だ」

とも。

一言で「支援」といっても、その内容は本当にピンキリなんですよね。

「ひきポス」の記事を書いた方は、良くない支援者・事業者に当たってしまったのではないかと想像します。

本来、社会的な「支援」って、与えたり与えられたりするモノではないはずです。

なぜ、ひきこもりのように社会から隔絶されている人を、社会に包摂し直そうとするのか。

これ、社会の自己修復作業なんですよね。

合目的的集団としての社会(経済成長を目指す企業のような社会)は、必ず役立たずを排除します。

けれど、社会って合目的的機能しかないわけではないんですよ。

役に立つ・立たないは関係無く、そこに生まれてしまった人、流れ着いてしまった人全てを含めて、全体として生活が動いていくようにするのも、社会本来の機能です。

隣家が9060の末腐乱死体数体、というのは、社会の機能不全なんですよ。

社会を作らなければ生きられない生き物である「人間」として、いたたまれない状態です。

そうならないための「支援」なのだと思うのですよ。

つまり、「あなたがかわいそうだから助けてあげる」わけではな「社会が壊れないように、一緒に修繕しよう」なんですよね。

なので、支援を受ける側にも自発性が必要です。

唯々諾々と支援事業に従うだけでは、何の修繕にもならないでしょう。

支援の結果として、例えば就労のような支援者・被支援者の希望が満たされたとしても、それは機能修復のオマケだ、と思って良いのではないでしょうか。

支援の意味はあくまで、社会の機能を修復すること、なのだと感じます。

その人なりの社会との関わりでいいのでは?

例えば、就労したからひきこもり問題は解決、とはなりませんよね。

どの状態をひきこもりと呼ぶか、によって変わりますが、範囲を広く取ると、職業があっても職場と家の往復のみで事務連絡以外誰とも話さない、というのもひきこもり社会的に疎外された人の内だと思います。

前掲の江戸川区の調査で、女性の数が多く出たのは、所得税非課税の人への調査という方法から、家族以外と交流の無い専業主婦や、単に抑鬱状態の人が、ひきこもりにカウントされたからだ、と考えます。

(調査結果でも本人が医療の受診を望む割合が高く出ていますが、抑鬱状態があるならば当然医療にかかることが先決です。)

けれども、この生活パターンでも、特にストレスを溜め込むことも無く、健康的に機嫌よく生活できているのならば、問題は無い、ですよね。

人間は社会を作らなければ生きて行けない生き物ですので、生きている限り「社会との付き合い」は発生します。

(日用品の買い出しにしたって、社会との接点、付き合いの一つです。)

その「付き合い」が、どの程度であるのが心地よいかは、当然人によって異なります。

無理な付き合いをして健康を害する必要は無い、と思います。

バリバリ経済活動をすることが快感だ、という人は、元気に働けば良いと思うし、自分の生活が保てればそれでOK、という人は、静かな暮らしをすれば良い、と思います。

「正社員として働けないヤツはクズだ」などという価値観の押し付けに、従ってあげる必要は無いんですよね。

社会を作っているのは「個々の人」の集まりですので、その「個々の人」がどの程度健康的に機嫌よく生きられるのかが、「社会の動き」の健康を左右するんですよ。

高度経済成長期の価値観、「健康を害してでも経済成長に寄与せよ」というのは、もう現状にそぐわない、過去の呪いです。


例えば、何等かの病気や障害があり、賃金労働ができないのであれば、無理に賃金労働をすることはない、と思います。

コミュニティの中には、お金にならない仕事がいくらでもあります。

ボランティア任せになっている自助グループもそうですし、ゴミ集積所の片付けもそうです。

自分自身を機嫌よく保つことも、コミュニティを健康的に成立させる大きな要因です。

これらは、コミュニティの健康を保つのに必要不可欠な「仕事」なんですよ。

生活保護受給者などを「働かないで生活するなんて、ズルい」などと非難する人は、解ってないんですよね。

働かないで、身辺の雑用をこなさないで生きている人なんて、いないですよ。

もしいるとするなら、それは、家事雑用を家族に丸投げして何もせず、不満を溜め込んでいるだけの人、でしょう。

けれどそれは、ある意味「病人」ですので、それなりの医療なり支援なりに繋げる必要があります。

支援は、社会を動かす「チカラ」ですので、その「チカラ」に合流して自分も動けば良いのです。

例えヘルパーさんの支援を受けていたとしても、家事雑用をこなし、自分の生活を気分よく運営できているのなら、それで十分だと思います。

健康的に機嫌よく生活できないことこそが、社会を腐らせる原因だと思うんですよ。


社会の、合目的的集団としての面ばかりを強調することで、福祉の対価(費用対効果)などという、本来ならば数値で換算できないものにまで「対価を払わなければならない=成績を上げなければならない」という強迫観念が生まれるのだと感じます。

経済こそがチカラ、経済は永遠に右肩上がりで成長し続ける、という過去の妄想へのしがみつきが生む、強迫観念ですよね。

「支援」は当事者だけのためにある訳じゃない

「支援」は、当事者だけのためにある訳ではないし、もちろん支援者のエゴのためにある訳でもないです。

社会全体の自己修復活動なんですよね。

本来ならば、公共の機関が進めることなのだと思いますが、まだそこまで文化が成熟していないんですよね。

前掲の江戸川区の調査でも指摘していましたが、調査に回答しない層が最も支援を必要とする層なのではないか、そこへアプローチするにはどうしたらいいのか、という課題があります。

けれどもそれが「マジョリティの価値観」の押し付けになってしまっては、マイノリティに対する更なる追い詰めになってしまうんですよね。

加減の難しい所だと思います。

ただ、基本は、マジョリティに合わせた「健康的な社会参加」ではなく、その人なりの「健康的な機嫌の良さ」を維持できる範囲で「社会参加」をすれば、それで良い、と感じます。

と言うより、それができなければ、社会は足元から崩れていく、と感じます。

福祉や支援は、憐みやお情けではなく、当事者が主体的に行う社会修復のための手段、なんだと思いますよ。




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障害者就労で感じた無意識の差別、能力主義の不都合、制度の矛盾…等々…本人の体験から感じたこと、改善したいこと、これからの社会へ願うこと、などを書いています。ご興味がありましたら、どうぞご一読ください。よろしくお願いいたします。
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