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マイノリティの不便と個人のワガママの区別

Photo by TOMOKO UJI on Unsplash生きることの尊厳
Photo by TOMOKO UJI on Unsplash

少し前、Twitterのタイムラインに「トランス女性を差別する女性」という話題が流れていて、何だろう? と思っていました。

で、少しさかのぼって読んでみると、騒ぎが始まった背景に

「性別適合手術を受けていないトランス女性を、女子トイレや女風呂から追い出すのは差別だ」

という主張があり、

う~~~~~ん、、、

と思ってしまいました。

一連のツイートでは、普段から攻撃的な発言をしがちなフェミニスト女性たちに良い思いをしていなかった人たちが、ここぞとばかりに「差別をするな!」と反撃をしていた、、、ようです。

…本題は、そういうことではない、と思うのですが…。


私、以前に商業施設の掃除のおばちゃんをやっていたことがあります。

トイレの清掃もするのですが、やっぱり「アヤシイ人」というのはちらほらいるんですよね。

一番迷惑なのは、ユニバーサルトイレや授乳室を、良からぬ理由で占拠したり、荒したりする人、です。

そういう誰が見ても「迷惑」と思えることをする人もいますし、一見「よくわからない違和感」を出しているだけの人、もいます。

あからさまな迷惑行為は、見つけ次第警備室へ連行、になるのですが、対応に困るのが「よくわからない違和感」の方、なんですよね…。

商業施設のトイレって、その場に来た人誰もが「安全に・気分よく」使えることを目的に設置してあるわけですよ。

なので、他の人に不信感・不安感を与える「表現」をする人は、男女問わず、誰であれ「使用お断り」にせざるを得ないんですよねぇ。

(男子トイレに入り込む女性、も中にはいます。正に男女問わず、です。)

この、「不特定の人に不信感・不安感を与える表現」って、ざっくり言うと「TPOに合わない表現」という意味になっちゃうんですよね。

本人に悪意はなくても、見た目が女性ではない人が女子トイレに入ろうとする(逆もしかり)とか、変にソワソワキョロキョロしている人、とかは、警備担当者から声をかけさせてもらうことになってしまいます。

実際、いたずら目的の人もいますので。

TPOに合わない表現、というのは、社会的な文脈が読めていないとズレてしまうという、微妙なものでもあるのですが、いろいろな人が出入りする商業施設で警戒されてしまうのは「あからさまに変な感じのする人」という、ある意味「解りやすい表現をする人」でもあるんですよ。

誰でも利用できる場所での「社会的な文脈」って、結構単純、そんなに難しいものではないんですよね。


トイレとか、浴場とかって、要するに「丸腰」になる場所です。

無防備になる場所ですから、不安や危険があったら、施設として意味をなさなくなるんですよね。

んでね、ちょっと表現がナンになりますが、

下着を外したの女性の前に、大人のち○○んを出した見知らぬ人がいる。

というのは、恐怖でしかない、んですよ。

たとえち○○んを持った人の側に、全く敵意も悪意も無い、としても、女性(お婆ちゃんであっても)にとっては、一見して「危害を加えられる可能性がある」と感じてしまう光景なんですよね。

それは、生き物としての本能なんですよ。

例えば、街中で包丁をそのまま持って歩いている人がいたら、怖いですよね。

包丁を持ち歩く理由がどうであれ「アウト!」になります。

たとえその包丁がおもちゃで、刃が付いていなくても、冗談だったとしても、とりあえず警察沙汰です。

それは、「包丁というものは、何かを切るための道具で、《普通は》街中で持ち歩くものではない」という共通認識があるからですよね。

《普通ならば》持ち歩かない、他者に危険や恐怖を感じさせる形状のものを、わざわざ出して歩く、ということは、他者に危害を与えようとする意志があるから、ではないか?

と、思いますよね。

だから、意味も無く抜き身の包丁(刃物状のもの)を持ち歩いてはダメなんですよ。

身も蓋もない言い方ですが、女性にとって、わざわざ出している知らない大人のち○○んて、そういう「形状」、なんですよ。


もう一つ、男湯であっても「倶利伽羅紋々」は入場禁止ですよね。

入れ墨の入った人に「そんな気」は全くなかったとしても、「俱利伽羅紋々を見せつける」イコール「威嚇」と捉えられるから、です。

なんども言いますが、お風呂って、丸腰になる場所なんですよ。

トイレも同様です。

そこに、たとえ物理的な(刃物とかの)危険ではないにせよ「心理的威嚇」「心理的危険」があったら、誰だって嫌ですよね。


掃除のおばちゃんの経験から言うと、適合手術をしていないトランス女性が、男性トイレを使えない場合は、ユニバーサルトイレを使ってもらうしかないんですよ。

一人のお客さんの要望のために、他のお客さんに不安感を抱かせる訳にはいきませんので…。

これ、車いすユーザーを考えると解りやすいかも知れません。

車いすユーザーが「普通の男性(女性)トイレが使えないのは差別だ」と訴えたとしても、全てのトイレをバリアフリーにするのは現実的ではないですので、ユニバーサルトイレの数を増やすことしかできないでしょう。

それと同じなんですよ。

トランス女性もシス女性も(シス男性もトランス男性も)安心して使えるトイレ、を考えると、「第三者と鉢合わせしないトイレ」になると思いますが、全てのトイレにそのスペースを取ると、その施設を使う全員が余裕をもって使えるトイレの数が確保できなくなります。

公衆浴場にしてもそうですよね。

車いすでは普通の銭湯には入れません。

でも、車いす用に改装してしまうと、今度は健常者が使いづらくなってしまう。

この整合性を取ろうとすると、専用のスペースを設けるか、家族風呂にするしかないんですよ。

個人の意思がどうであれ、人間(生き物)って、物理的条件を無視して行動することは、出来ないんですよ。


今回論争になっていたことの、一つの元になったツイートをした人は、どうも、両性愛者で適合手術を受けていないトランス女性、のようでした。

「素朴」に考えたら、その人は女湯には入れないですよねぇ…。

けれど、その人が傷ついたのも事実でしょう。

その人個人が感じている「理不尽さ」を訴えるための、怒りを込めたパフォーマンスでもあった、と感じます。

確かにマイノリティって、何かと不便です。

世の中はマジョリティに合わせて出来ていますから。

でも、マイノリティの不便解消のために、マジョリティに多大な我慢を強いるのでは、多様性を受け入れる意味が無くなってしまうんですよ。

マジョリティが危険を感じるような「合理的配慮」なんてありえない、んですよ。

どんなに真摯な願いであっても、受け入れられない「個人の願望」はいくらでもあります。

その「個人の願望」と、多様性を受け入れるための「変革」への願いは、「別物」なんですよ。

そこを区別せずに、マジョリティを攻撃してしまうと、単なるワガママになってしまうんですよね。

(「人権」ということばに、嫌なイメージが付いてしまったのもソレなんですよ。「歴史」は本当に参考になります。)

マジョリティに媚を売る必要はないです。

でも、どんな相手に対しても、ヘイトや糾弾をする権利なんてものも、誰にも無いんですよ。

本当に多様性を実現したければ、やり方はしっかり考えないといけない、ですよね。




ブログ筆者  鈴木紗々夜  https://amzn.to/3MCIgqY
障害者就労で感じた無意識の差別、能力主義の不都合、制度の矛盾…等々…本人の体験から感じたこと、改善したいこと、これからの社会へ願うこと、などを書いています。ご興味がありましたら、どうぞご一読ください。よろしくお願いいたします。
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