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人間はそもそも「多様」で、「自由意志」はあやふやなモノ

undefined生きることの尊厳

このサイトの中で「トランス女性は女性じゃなく、トランス女性というジェンダーの人だよね」という意味の事を書いたら、「それは差別だよね」というご意見を頂きました。

もし、私の意見が誰かを傷つけたとしたら、それは申し訳なく思います。

それで、この「ジェンダーをトランスする」という行為や、何が「差別」になるのか等を、つらつら考えてみました。

(私は研究者でも何でもなく、単なる素人の一個人としての実感で語っていますので、もし「それは変だよ」ということがあったらご指摘ください。)

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先ず「人間としての尊厳」って何だろう?

「尊厳」の存在する場所

「差別」って、「人間としての尊厳を踏みにじられる行為のこと」だと、私は解釈しています。

では、尊厳って、何なのでしょうか。

好むと好まざるとにかかわらず、本人自身から切り離すことのできない、本人の身に付いたその人固有の特徴

だと、私は思います。

これは本人の希望や欲望とは全く別の、本人が気に入らない特徴であっても、その人固有に備わっているモノには、その人の「尊厳」が存在している、と思うからです。

例えば障害と言われる特徴は、本人だって不便に感じているモノですが、その特徴があることで自身の人格が形成される面も大きい訳ですから、そこには大切な個人特有のエッセンス(尊厳の元?)が存在すると感じます。

他人が、自分が、何を言おうとどう思おうと、自身の内に厳然と存在するモノ、それこそが尊厳なんだと思います。

「欲望が満たされない」のは「尊厳の棄損」ではない

一方、希望や欲望というのは、自分自身をより良くするために「自身の外部へ獲得しに行くモノ」なのではないでしょうか。

これは生きる上で、とても大切な情動です。これが無かったら、たぶん人間は生きる気力を失くしてしまうと思います。

ですので、希望や欲望を抑圧するのは良くないことだと感じます。

けれど、自身の欲望・希望を満たすために他者の尊厳を侵害・搾取することは、「差別」になってしまうのですよね。

尊厳を侵害しても構わない、と見做される「他者」とは、単なる「対象物」であって「同等の人間」とは扱われていない訳ですから。つまり「被差別者」となります。これはたとえ相手がマジョリティであっても被差別者になり得ると考えられます。

欲望・希望を満たす行為には、この「差別を行わないバランス」が必要不可欠だ、と感じます。

ですので、一方的に「欲望・希望が満たされないのは不当・差別だ」とか「我慢をしない方が悪い」とかの考え方には、疑問を感じざるを得ません。

他者の尊厳を棄損することで得られる尊厳、などはあり得ないと思っているからです。

「ジェンダー」って何だろう?

上記の「尊厳」を踏まえた上で、ジェンダーとは何なのか。

ジェンダーとは

ジェンダーの語源はラテン語の「genus」で、生まれ・家系・部族といった意味から、生物学上の分類を指す言葉になり、その後社会学などで「身体的性別に即して社会・文化的に望まれる規範」(=後天的に社会・文化的要素で形成される性別)といった意味に変化してきた言葉です。

(↓ジェンダーとは Wikipedia)

ジェンダー - Wikipedia

つまり、今現在での意味としては、身体的性別とは別のもので、いわゆる男らしさ・女らしさといった、見た目やしぐさでの社会的役割としての「性別」です。

「生まれ」を選べる人はいない

生まれたときの条件で、大人になってからの社会的役割がガッチリ決められてしまうのは、やっぱり誰だって息苦しいと思うんですよ。

社会が望むような性格や才能を持っているとは限りませんから。

それに、生まれで社会的役割が決まってしまうのは、職業の固定化・身分差別とも地続きの問題で、歴史的に見ても社会の停滞→崩壊につながることなんですよね。

だから、できうる限り生まれで身分を固定しない社会にしよう、という動きで人権・民主主義がグローバル化してきた訳ですよね。

「性別」という難しさ

人類の社会・文化の表側は、やはり男性仕様でできているんですよ。

なぜなら女性は産む側の性だから、です。

妊娠・出産という身体的な一大事は、体力も時間も、その他諸々の人生を費やさなければ出来ないことです。

つまり、どうしてもその一時期は、金銭を稼ぐなどの行為をする表社会から抜けなければならなくなります。

どんなに福利厚生でカバーしても、その一時期を失くすことはできません。そういう意味で企業などは女性に対して、使えない奴、という判断を下す訳です。

だけれども、今現在の社会状況で、経済的自立を阻まれたら、当然生きていくことが困難になる訳です。

この辺りの整合性を取ろうといろいろな制度を作っている最中なのですが、どんなにカバーしたとしても「産むのは女性」なのは変えようがないんですよね。

人間は哺乳類の一種である生き物なのだから、当然といえば当然なんですよ。

「物理的に備わった身体」と「物理的制約の無い文化」

形のある身体、形の無い文化

物理的に備わった身体って、どんなに文明が発達しても、生き物である限り逃げられないモノですよね。

背の低い私が手術をしたとしても、身長180cmにはなれないです。

どんなにアングロサクソンの人がモンゴロイドになりたいと願っても(その逆も)不可能です。

では、性別は?

これも、外見を他の性に似せることはできても、人工的にホルモンバランスを変えたとしても、本当に別の性へ性転換することは不可能なんですよね…。

自分は自分であって他人にはなれない、というのと同じです。

最近、子宮移植の法案が出て話題になり、子宮を移植すれば、人工子宮ができれば、男性でも出産可能になるのでは、と言う人もいましたが、ではその移植する子宮はどこから持ってくるのでしょう? 卵子は誰から採取するのでしょう? 貧困ビジネス・差別助長の要素はありませんか? そもそも、そこまで肉体を大改造する意味は何なのでしょう…?

遺伝情報のXY・XXまで変えてしまう技術ができたとしても、そこまでいじったら、個人の同一性も何も、それこそ個人としての尊厳さえ無くなってしまいますよね。


けれど、後天的に身に着けることができる「文化」は違います。

これは、自由に選んで良いんじゃないかと思うんですよ。

髭を蓄えた男性が口紅をつけていたって、オバサンがすっぴん・ジャージで街を歩いていたって、一向に構わない、と思うんですよ。ファッションは自己表現の一つですから、無理なく自分らしくいられるのであれば良いと思います。

また、男性が恋愛対象の男性、女性が恋愛対象の女性も、「そのまま」受け入れればよい、と思えます。

趣味・嗜好や恋愛の傾向は、その人固有に備わった人間性の一面で、そこから派生する外見的な文化を他者があれこれ評価する必要はないし、無理に変える必要もないです。

本来のジェンダーフリーという考え方は、「性別で〈らしさ〉を固定しない・押し付けない」という意味だったと思うのですが、今いろいろと問題になるトランスジェンダーって、〈それらしい〉恰好をしていたら〈その性別として〉扱ってくれ」と主張しているんですよね…?

この辺りに矛盾や、問題の本末転倒を感じてしまうのですよ…。

「それらしい恰好をしているから、その性別だ」というのでは、「ジェンダーの固定」になってしまいます。

「何」を望んでいるのか

たぶん、モンゴロイドになりたいアングロサクソンの人も、女性になりたい男性も、その逆も、「文化としての社会的立ち位置」に憧れているのではないでしょうか…?

つまり、本当に「その対象」になりたい訳ではなくて、現在の社会・文化的に見た相手の立場になりたい・その立場を味わいたい、のだと感じるのですよ。

で、その立場を更に深く味わうために、自分の身体を「本物」のように改造したい、のだと…。

こうなると、フランス人形になりたくて整形を繰り返すヴァニラさんの感覚と近いのではないかと思えてきます。

ヴァニラさんは、自分は決してフランス人形にはなれないことを解った上で、辛い手術を繰り返しやり続けているのですが、「フランス人形」という「対象」はあくまでもファンタジーであることを解ってらっしゃると思えます。

そう。憧れの立場とは、実在し生活している「人間」ではなく、ファンタジーの世界、なんですよ。

昔の映画の差別表現

よく解らないからこその「対象物」

古い西部劇などを見ていると、下働きの日本人、なんてのが出て来ることがあるのですが、そのイメージは中国と日本とマレーをごっちゃにしたようで苦笑してしまいます。

たぶん、今作った映画だったら「差別的表現だ!文化の盗用だ!」と糾弾されるかも知れません。

けれど、その映画が作られた時代を考えれば、普通にあり得る表現なんですよね。

これ、何でヘンな表現になってしまうのか。

単純に東洋人やその文化を「自分たちとは違う、よく解らない対象物」つまりファンタジーとして見ているからなんですよね。

対象がフランス人形のように元からファンタジーの中の存在であれば問題にはならないのでしょうが、現実に生々しく生活をしている人々をファンタジーの対象としてしまうと、「見下し=差別」と捉えられても仕方がないことだと感じます。

映画の撮影された当時は、今ほどグローバル化していない時代なので外国に対し無知であったのは仕方のないことだと思えるのですが、これと似たような感覚を、現在問題になる自称トランスジェンダーにも感じてしまうのです。

実際、「使用済みナプキンのにおいを嗅いでみたい」とネットに書き込んでしまう自称トランス女性もいるのですが、彼は単純に女性に対し無知であるが故に、その言動が女性への侮辱になることが解らないのですよね…。

例えば、女性に興味をもった男の子があれこれ女体の神秘に妄想を膨らませたり、BLにハマった女の子が男性の身体に妄想暴走超特急!になってしまうのは、「性」に対する無知ゆえですよね。その延長として、自分とは別の性別特有の文化に性的ファンタジーや憧れを持ち、更にその気持ちがある方向で強まると、その性別の人そのものになりたい!となる人もいるのではないか、と…。

成長期に自分の性別に嫌悪を感じることは普通にありますし、思春期の一時期に妄想が爆発する感覚もわかるのですが、大人になり知識が増えれば「あれは単なる妄想、失礼だったな」なんてことも解ってくるものだと思うのですが…。

もちろん、いわゆる性同一性障害のような一時的な思い過ごしではない人もたくさんいる、と認識しています。

パス度を上げるための肉体改造?

トランス女性は、外出先で女性トイレを使っても不審がられないために、本物の女性に見える外見を目指す努力をするのだそうですが、それって、何のためにジェンダーをトランスしたのか虚しくないのでしょうか。

例えば、障害のある私は障害者就労で働いていたとき、公共交通機関などで不審がられないように人一倍身なりやしぐさがきちんと見えるよう気を配っていましたが、強い緊張が続くあまり出勤できなくなった過去があります。

障害者就労に就くために健常者に化ける障害者。

女性トイレを使うためにシスジェンダーに化けるトランス女性。

なぜ、「物理的身体要素も含めた、オリジナルの自分自身」として生きられないのか。

障害者としてもそうですし、トランスジェンダーというジェンダーとしても、なぜそのままでいられないのか。

とても虚しいし、悲しいと感じます。

合理的配慮の限界

マイノリティの生きづらさは解消できるのか?

とても理不尽だとは思いますが、好きでマイノリティに生まれた訳ではないのに、マイノリティという立場はとても生きづらいです。

その理不尽さを少しでも解消するために「合理的配慮」がなされるのですが、それにも限界があるんですよね。

例えばユニバーサル仕様のトイレを増やすにしても、その場所や費用を確保するのは容易ではないです。

だからトランス女性に女性トイレを使わせてほしい、と言うのでしょうが、前述の使用済みナプキンに興味のあるような人が入り込みやすくなるのは、女性に対する「加害」と言えます。

他者の安全を犠牲にした合理的配慮なんて、あり得ないんですよ。

なぜ、女性は男性からの加害に怯えるのか、そこを理解しないまま女性のみのスペースを失くすよう進めるのは、あまりに暴力的です。

そもそも、なぜ男性スペースではトランス女性の安全が確保できないのでしょう。

衝動的な暴力性を抑えられない男性が多い、という問題なのではないでしょうか…?

自認により性別を決めることに先進的だったヨーロッパなどで、あまりに問題が起きるから、と、自認で性別を決めることの撤回が動き出しています。これは結局、自称トランス女性という人達が男性としての暴力性を身に着けたまま女性スペースに入ってしまった結果なんですよね。


力のある者にはノブレスオブリージュ的責任が必ず存在しますし、見方を変えれば生きている人だれもが強者とも言えます。

結局、文化の多様性って、自文化以外の文化に対するリスペクトと理解が無ければ実現できないのですよね。

そして文化を作っているのは、その文化の中で実際に生きて生活している「尊厳ある人間」です。

どんなに真摯な願いであっても、自分の希望を叶えるために他者の尊厳を侵害するのは、「差別」「搾取」になってしまいます。

自分らしく生きること=自身をそのままに認めること、と、他者を侵害しないこと=他者への理解とリスペクトの姿勢を忘れないこと。

このバランスを取るのは本当に難しいのですが、これがほどほどにできるようにならなければ、差別や搾取、加害はなくならないし、生きづらさの解消にはならないと感じています。




ブログ筆者  鈴木紗々夜  https://amzn.to/3MCIgqY
障害者就労で感じた無意識の差別、能力主義の不都合、制度の矛盾…等々…本人の体験から感じたこと、改善したいこと、これからの社会へ願うこと、などを書いています。ご興味がありましたら、どうぞご一読ください。よろしくお願いいたします。
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