2022年8月29日に出した、生殖補助医療法改正に関連して代理出産の合法化を進めようとする自民党案。

Twitterでも話題になっていましたが、本当に「怖い」と思うんですよね。
先天的に子宮が無い人などへの子宮移植が可能になるまでの時限的な措置を想定しているそうですが…。

(↑2021年7月 日本医学会が子宮移植を容認)
なぜ、そうまでして、産めない身体の人に「人工的に」産ませようとするのか、疑問を感じるんですよ。
Twitterで、癌で子宮摘出した人が「産めない悲しみが解りますか?」と嘆き、子どもを持つ希望である子宮移植や代理出産に反対するのは酷い、と訴えていました。
子どもが欲しいのに産めない、というのは、悲しいだろうというのは解るんですよ。
けれど、事故で足を失くした人が「歩けない悲しみ」を語ることはあっても、「歩ける人の足を奪ってでも歩きたい!」とは訴えないですよねぇ。
この違いって、生殖に対する強迫観念なんじゃないかと思うんですよ。
他の方も散々言っていますが、代理出産って「貧困ビジネス」になりやすいんですよね。
「自分の意思で、なりたくて代理母になるなら、良いじゃないか」
と言う人もいるのですが、弱い立場の人が「嫌だ」と言えない状況を作るのは、簡単なんですよねぇ。
生殺与奪(金・居場所・社会的承認などなど)を握られてしまったら、Yes以外の返答は出来なくなるんですよ。
「Yes」と言わなかったら、その後死ぬ以外ないのではないか、という恐怖を感じてしまうんですよね。
立場の差を利用すれば、「自由意志で選択してよい」と言いながら、「強制」にできるんですよ。
なので、自己犠牲の美談って信用できないんですよねぇ。
なぜそんな強制までして「産まなければならない」と思い込まされてしまうのか。
これ、結構、「男の原理」なんだと思います。
自身のミームをできる限り大量に残す。それが使命であって、手段は選ばない。
その原理=欲望に答えるのが「女の使命」と思い込んでしまうと、番った男のミームを持った子どもを産まなければ(持たなければ)ならない、という強迫観念になるのだろうと思います。
子どもを育てたいのであれば、養子だっていいのですから。
他人の身体を支配したり、人工的に身体を改造してまで、新たな生命を産む必要はない、と感じます。
医学会員や政治家って、ほぼ男性ですよね。
だからこういうバイアスがかかりやすいのだと思いますよ。
けれど生殖医療って、他者からの精子や卵子の提供を受けることも多いのですから、自身が産ませることにこだわる理由って、一体何なんでしょうね。
(支配欲、所有欲なのかな?と感じますが…)
「子を産むことこそが女の幸せ」というのは、男性の欲を美化する言い訳を「通説」にしたものなのでしょう。
「代理出産は子宮移植が可能になるまでの時限的な措置」としていますが、この移植。
脳死からの移植を想定しているが、条件付きで生体移植も容認、となっています。
これがまた怖い。
障害者が「臓器」として「消費」されるのではないか、と…。
障害者って、大抵「嫌だ」と言えない立場にあります。
1993年の話ですが、「国立大学病院の教授らが、障害者の正常子宮を摘出」、という過去がありました。↓
以前は「普通に」そういうことが行われていた事実があります。
優生保護法(ゆうせいほごほう)とは、1948年(昭和23年)から1996年(平成8年)まで存在した法律である。優生思想・優生政策上の見地から不良な子孫の出生を防止することと、母体保護という2つの目的を有し、強制不妊手術(優生手術)、人工妊娠中絶、受胎調節、優生結婚相談などを定めたものであった。国民の資質向上を目的とした1940年の「国民優生法」を踏襲していた。1996年の法改正で優生思想に基づく部分は障害者差別であるとして削除され、法律名称も「母体保護法」に改められた[1]。
Wikipedia

↓優生保護法が無くなった後でも、こういう例があります。

生体移植を合法化してしまうと、
「障害者には必要ないものだから取りましょう。」
「取ったモノは有効活用しましょう。」
という流れが出ると思うんですよね。
臓器移植の技術が進歩すれば、あらゆる臓器が移植の対象になるでしょうが、そうなった時、「障害者」という「一個人」が、単なる「臓器の集合体」と見做されるのではないか、と。
津久井やまゆり園襲撃犯の考え方に賛同する人がいる状況で、たとえ条件付きであっても生体移植を合法としてしまうのは、本当に恐ろしい、と感じます。
ヒトの生き死にって、本来「自然のもの」ですよね。
病気の軽減などの医療ならばともかく、他者の肉体を利用してまで生死を人為的にコントロールしよう、というのは、人として間違っているのではないでしょうか。
ヒトがヒトの生死をコントロールする。
一体、誰が誰のためにコントロールするのでしょう?
それはもう「人間」では無い、と感じます。
人間という生き物の尊厳って、一体何なんでしょうね。



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