回復、というと普通、病気などが治り元の元気な状態に戻ること、という意味になりますが、これ、捉え方によっては絶望的な気分になることばでもあるんですよね。
例えば、事故で片足を失った場合、もう新しい足は生えて来ません。
虐待からのサバイバーの場合、健全な環境というものを元々体験していないので、回帰するべき健康というものがそもそもありません。
生まれつきの障害の場合も、同じです。
元へ戻れなかったり、戻るべき健康が元から無かったり…。残酷かもしれませんが、「障害」という状態になってしまうと、健常者にはなれないんですよ。
じゃあ、回復は無いのか? というと、そんなことは決してありません。絶望する必要も無いです。
「回復」ということばの意味は、「健康状態が回帰すること」ではなく、「リカバリー」と捉えれば良いんですよね。
リカバリー=re-cover-y ⇒ 再度補い直す ⇒ 新しいカバーを作る
こう捉えて良いんじゃないかと思います。
何にしても壊れたものは元通りにはなりませんから、以前の状態を目指すのではなく、「新しく作り直す」で良いのだと思います。
「回復」というのは、健常者を目指すことではないんですよね。
あくまでも今の自分自身にとって、これからどうしたいのか、そのためには何が必要か、が問題になるんですよ。
障害のある人が「みんなと同じ、普通の健常者になりたい」と願ったとしても、それは無理なことだし、自分が惨めになるだけですよね。
そもそもの話「普通の人=みんな」って誰? 健常って、どういうこと?
障害者から見た「普通の人=みんな」は健常者のことなのだけれど、障害と健常の違いというのは、とても平たく言ってしまうと、平均値に収まるかどうかの違い、なんですよね。
確かに、何にしても平均値≒最頻値に収まると、楽ではあります。
服を選ぶにしても、人数の多い平均的な体型の人に合わせたものほど種類が多いですから、買いやすいです。
けれど、平均的な標準体型といったって、一人ひとりの実寸が違うのは「当たり前」。
平均値ピッタリの人なんて、いない。
「平均的な人」というのは、「想像上の人物」なんですよ。
「みんな」というのも、「実在しない、想像上の人の集団」なんだと思います。
「健常」も同じなんですよね。
完全なる健常、なんてものは、無いです。
はっきり言って、どの人もちょっとづつヘンです。
ヘンであることが当たり前なんですよ。
つまりどの人も、その「ヘン」を土台にして、新しく自分を作り直していくことが可能なんですよ。
それが障害の受容でもあるし、障害や病気があろうがなかろうが、どの人にも「リカバリー=回復」が可能であり必要なんです。
実体の無い「みんな」から見た不備・不足をなくすのが目的なのではなく、自分なりに成長し、生きていく、その方法を探していくことが、回復なんだと思います。
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