HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン/Highly Sensitive Person)とは、簡単に言うと、他の人にとっては大したことではない刺激にも大きく影響されてしまうような、敏感な人のこと、です。
疲れやすくはあるのですがHSP自体は病気などではなく、感受性豊かな個人の特性です。
私は、HSPということばは知っていましたが、今まで自分にも当てはまるとは、思っていませんでした。
先日、たまたまHSPに関する本を読んだところ、相当の部分が自分に当てはまる上、
HSPの特徴を説明する文章が、
障害者を雇用する職場へ、合理的配慮を求めるための説明に活用できるのではないか
とも感じました。
そのことを、まとめておきます。
発達・精神障害者は刺激に過敏なことが多い
先ず、HSP自体は病気でも障害でもなく、感性の豊かな個人の特性であることを、明示しておきます。
私は20代の頃には、健常者・正社員として働いていました。
しかし、満員電車での通勤や残業、業務のスピードに付いて行けず、過労や自律神経症状を経てうつを発症しました。
その後アルバイトを転々とし、20年以上経ってから、元々発達凸凹の傾向があったことが判明しました。
それをきっかけに、精神障害者として障害者枠での就労をしたのですが、半年ほどで退職した、という経緯があります。
障害者枠の仕事であっても、職場や通勤で受ける刺激で、疲労しきってしまったんですよね。
普通のアルバイトよりも、障害者雇用での人間関係の方が抑圧的である分、私にはキツかったです。
障害者を雇う職場には、障害があっても働ける環境を整える「合理的配慮」の義務があります。
障害というのは人それぞれに違い、どんな配慮が必要かも、人によって異なります。
なので合理的配慮は基本、障害者本人からの申し出が無いとできないんですよね。
例えば「足が悪いので段差をなくしてください」ならば、誰が見ても納得ができますし、配慮のしかたも解りやすいです。
一方「疲れやすいので、急げと煽らないでください」は、どうしてよいのか解らない上、単なる我儘と区別が付け難いです。
発達障害や精神障害の「困り感」は、当然他者の目には見えませんし、本人もどう伝えたらいいのか解らないんですよね。
しかし、刺激に弱いのは事実で、急がされると恐怖でパニックになり動作がフリーズする上、翌日までぐったりと疲れたままになってしまう、という現実があります。
この「刺激に弱く、疲れやすい」ということが「障害」なのですが、刺激のような感覚的なことへの合理的配慮を頼む伝え方が、本当に難しいのです。
「煽らないで欲しい」というのは、ゆっくりしたい・さぼりたいからではなく、翌日も出勤する体力を維持するためのお願いなのですが、言い出しづらい・理解されにくい「配慮のお願い」です。
私がいた障害者雇用の職場では、健常社員達が大きな声で他者(私ではない)をけなしていることが多く、私はそれが怖いし感情が疲弊してしまうので嫌だったのですが、「改善して欲しい」とは言えませんでした。
自分に対する攻撃ではないですし、他者をけなし合うことで連帯感を持とうとする社内文化でしたので…。
私に限らず抑うつを発症している人は、大抵過去に「嫌な目・怖い目」に遭っていて、自身に向けられたものではなくても、他者を非難する人がいるような状況からは逃げたくなるのですが、健康な人には理解しづらいものなのですよね。
「そんな弱々しいことを言ってないで、慣れなければダメだ!」という、当事者からするととんでもなく乱暴な考え方を「当たり前」とする人も多いです。
その状況で、雇われている立場の障害者が、雇っている側の健常者と、直に交渉しなければならない、というのは、本当にハードルが高いのです。
私は挫折しましたが、合理的配慮の交渉に、HSPの特性の説明が活かせるのではないか、と思いました。
刺激に弱く、疲れやすいというのは、HSPの特徴でもあるからです。
HSPの特徴
HSPの特徴の説明として、「サワイ健康推進課」のサイトから引用します。
HSPは、米国の心理学者であるエレイン・N・アーロン博士が提唱した心理学的概念で、神経が細やかで感受性が強い性質を生まれ持った人のことです。全人口の15~20%、約5人に1人はHSPと考えられています。
HSPには、特徴的な4つの性質「DOES(ダズ)」があります。
■ D:Depth of Processing/深く処理をする
簡単に結論の出るような物事であっても、深くさまざまな思考をめぐらせる
■ O:Overstimulation/過剰に刺激を受けやすい
刺激に対する反応が強く表れやすく、疲れやすい
■ E:Emotional response and empathy/全体的に感情の反応が強く、共感力が強い
他人との心の境界線が薄く、相手の感情の影響を受けやすい
■ S:Sensitivity to Subtleties/些細な刺激を察知する
他の人が気づかないような音や光、匂いなど、些細な刺激にすぐ気づくHSPの人は、感覚的な刺激に対して無意識的・反射的に対応する脳の部位、「扁桃体」の機能が過剰に働きがちで、HSPではない人と比べて刺激に強く反応し、不安や恐怖を感じやすいことが分かっています。相手の気持ちを察知して行動したり、物事を深く探究できる半面、ささいなことで動揺したり、ストレスをためてしまうこともあります。

⇩Wikipediaはこちら
https://en.wikipedia.org/wiki/Sensory_processing_sensitivity(HSPとは – Wikipedia)
「こういう感覚を持った人が、全人口の15~20%程度います」
「私の障害は、この特徴と共通した部分が多いですので、これらに対応する合理的配慮をお願いします」
ということを、書籍などで職場に示せば、話が通りやすいのではないでしょうか。
(⇩おすすめ書籍です)

他人を非難する声が怖いから、せめて別室でして欲しい、というのも我儘ではないことを伝えられるのではないかと思います。
私も含め、発達凸凹のある人の中には、やたらと敏感な部分と、とんでもなく鈍感な部分の両方があることが多く、HSPの特徴と全く同じとは言えませんが、当てはまる部分は多いと思います。
また、うつや統合失調症の人にも、こういうセンシティブな部分があることが多いと感じます。
「障害者」に属する人は少数派ですが、この引用にあるように、HSPの人が5人に1人程度の割合でいるとするならば、多数派である「健常者」の中にも、かなりな割合でHSP傾向の人がいる、ということになります。
つまり、苛立ちや暴言が飛び交う威勢のいい労働環境を「苦痛に感じている人」が、沢山いる、という意味ですよね。
どうしても声の大きい威勢の良い人が、世の中を引っ張っていく立場になるのでしょうが、そのやり方にうんざりしている人がかなりの割合で存在する、ということです。
厚生労働省は今、適応障害や抑うつで退職した人をリワークさせることに力を入れていますが、労働環境を根本的に変えない限り、適応障害やうつによる退職者はどんどん増える、という意味なのではないでしょうか。
HSPへの配慮ができれば、誰もが働きやすくなるのでは?
本来の障害者雇用の意味は、障害のあるなしに関わらず、
様々な個人的な背景を持って生活している人が、どの人も過剰な無理をせず働き続けられる社会にする
ことなのだと思います。
「疲れやすい」という個人的な背景を持ったHSPの人が、健康を犠牲にせずに働ける社会ならば、たぶん誰にとっても良い社会になりますよね。
けれども、障害者雇用に限らず、実際の職場は、「会社の都合に合わせられる人しか要らない。個人的な条件を言うのは我儘」となっていて、合わない人を排除し続けた結果として、適応障害やうつで働けない人が増えてしまっているんですよね。
さらに、障害者を雇わなければならない法律だけができてしまって、障害者「だけ」が特例子会社のように別枠にされてしまっている。
これでは、健常者にメリットは無い、というより負担でしかありません。
働き方は変わらないのに、合わせられない余計な障害者が身近に来る訳ですから。
(いっそ発想を逆転させて、荒っぽく感情的な人だけを特別枠に分けたらスッキリするのでは、とも思ってしまいますが…)
(⇩障害者雇用の矛盾について、ぐだぐだ書いてます。)

5人に1人の高い割合でいるというHSPの人が、過剰に頑張らずに働ける環境(=荒っぽくなく・少人数で・攻撃的な人とは分けて・休める環境を整えて)というのができるのならば、大多数の健常者も働きやすくなると思うのですが、どうでしょう。
もちろんそれが出来ない職種もあるでしょうが、この条件の職場があれば、障害者でも働ける人が増えると思います。
今の労働条件で障害者を雇うことは、健常者にとってはデメリットでしかないので、障害者雇用の制度自体がおかしな方向へ行ってしまうのですよね。
けれども、HSPは病気でも障害でもない、多数派とは言えないまでも大勢いる、健康な人です。
健康な人が働きやすいのであれば、マジョリティである健常者にとって「メリットである」と言えるでしょう。
それに、HSPの人が健康に働ける社会であれば、適応障害や抑うつになる人もずいぶん減るのではないでしょうか。
「社会的な意味での障害者」を作り出さない社会、に近づけるのではないでしょうか。



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